サバゲーを大切にしないやつはマフィアじゃない

サバゲーを愛して止まない、あるマフィアのお話。その他エアガン、カスタム、映画、小説、雑談、お仕事、いろいろ書きます。

日本人でもよく分かる、イタリアンマフィアの歴史⑤

親愛なる読者様、Buon giorno!

ゆるキャラに書類審査で落ちたマフィア、ヴィスコです。

シカゴを掌握し、その頂点まで上り詰めたアル・カポネの障害を前回に引き続き紹介します。ちょっと間が空いてしまいましたが、どう最後までおつき合いをば。

 アル・カポネ、シカゴのトップへ

 

登場人物

A(+・`ω・) アル・カポネ。シカゴに渡った青年。犯罪帝国のトップに上り詰める。

(ミ`ω´ミ) ジョニー・トーリオ。シカゴで成功するも、後に引退。

( ゚Д゚)ゴルァ!! フランキー・イェール。アルとの確執を生む。

 

ジョニー・トーリオとシカゴへ拠点を移したアル・カポネ。売春宿のポン引きだった彼は、すぐにジョニーの組織の中で頭角を現します。売春宿を兼ねた賭博場の支配人となり、ジョニーの部下ではなく歴としたパートナーになりました。

 

A(+・`ω・) 「ジョニーさん、シカゴは我々の手中に収まりましたな」

(ミ`ω´ミ) 「アル。君の商才は全くもって素晴らしい。イタリア系ギャングの飛躍も君の力あってだ」

A(+・`ω・) 「酒の密売もうまくいっているし、笑いが止まりませんな」

(ミ`ω´ミ) 「そう言えば、ダイオン・オバニオンが我々に酒造所を譲渡すると申し出てきました」

A(+・`ω・) 「あのアイルランド人が?」

(ミ`ω´ミ) 「そうです。同盟関係をより強固なものにするしたい。そう言っていました」

A(+・`ω・) 「ふーん、同盟をねぇ」

 

時は禁酒法時代。アルたちも密造・密売で莫大な利益を得ていました。このウマイ話を持ち込んだダイオン・オバニオンはアイルランド系ギャングで、花屋を隠れ蓑に非合法な商売で100万ドル近い利益を得ていました。

このダイオン・オバニオン、実はとんだ食わせ物。表では同盟を装って、裏ではアルたちの商売を邪魔していたのです。そして譲渡した酒造所にも裏がありました。近々警察の手入れがあるのを分かっていて、彼らに譲ったのです。こうして警察のガサ入れがあった日の夜、居合わせたジョニーは検挙されました。

 

A(+・`ω・) 「あのアイルランド野郎、よくもハメやがったな。どうやって報復してやろうか・・・」

( ゚Д゚)ゴルァ!! 「ヤるしかねーだろ、そんな腐れ外道」

A(+・`ω・) 「フランキーさん!ニューヨークにいたんじゃ」

( ゚Д゚)ゴルァ!! 「ヘッヘッヘ。ジョニーから手紙をもらってな。あいつは裁判が控えてる。下手に動けねぇ、手を貸すぜ。そうそう、お前もシカゴじゃ顔が割れてる。実行するのは俺だ」

 

1924年11月10日。フランキーら3人の男が客を装い花屋で働くダイオン・オバニオンを射殺。その後、シカゴは報復合戦となりました。アルは自分も暗殺されるのでは、という疑心から常に両脇をボディーガードで固めるようになります。実際、アルは自分の車と運転手をトミーガンで攻撃されるという事件も起きました。

その翌年、トニーもオバニオンの部下だった二人の男に襲撃を受けます。なんとか一命を取り留めるも、彼は酒造所の件で実刑判決をくらい刑務所へ入ることになり、とうとう引退を決めました。アル・カポネに全てを譲って。

 こうして弱冠26歳のシカゴの帝王が誕生したのです。

 

酒の栄光、血の代償

アル・カポネは酒の密造・密売ビジネスをさらに広げ、巨万の富を得ました。警察や政治家を買収し、もはや誰にも逆らえなくなります。こうしてアル・カポネは自他共に認めるシカゴの顔役となったのです。

また派手でマスコミ受けする発言を繰り返したアルは、大衆にも人気がありました。まさに人を惹きつける天才でしょう。

そんな中、アルはある出来事に頭を悩ませていました。フランキー・イェールです。

彼の密売ビジネスにおけるパートナーだったフランキーにある疑いがありました。

 

A(+・`ω・) 「おかしいと面輪ねぇか。フランキーが酒を運ぶトラックだけ、やけにハイジャックされて荷物が姿をくらましている。こんな偶然あるか?」

友人「オーケー、それなら俺が調べてきてやるよ。この目で奴が黒か白か確かめる」

A(+・`ω・) 「お前が?まぁ、それなら安心だ。それじゃあ、よろしく頼むぞ」

 

〜それから数日後

部下「ぼ、ボス!大変です!友人のアマートさんが殺されました!」

A(+・`ω・) 「何ぃ!?アマートが!?フランキー、どうやらこれまでのようだな」

 

疑惑が確信へと変わったアルは刺客を差し向け、フランキーを殺害しました。アルの恩人でもあったフランキー。その胸中は計り知れません。しかし、アルはビジネスのためなら相手が誰であろうと手をかける非情さがありました。彼がギャングとして成功したのは、敵を容赦なく打ちのめす冷酷さがあったからでしょう。

フランキー殺害により、報復合戦が行われました。友人、組織の幹部などアルも手痛い打撃を受けます。しかし、彼が歩みを止めることはありませんでした。

 

部下「ボス、ジョージ・バグズ・モラン一家をやりましょう」

A(+・`ω・) 「あの一家か。俺たちの商売を邪魔する奴は誰だろうと許さねぇ。・・・よし、お前に任せた。首尾よくやれよ」

 

1929年2月14日。「聖バレンタインデーの虐殺」と呼ばれる事件が起きました。パトカーまで用意して警察官に扮したギャング達が、バグズ・モラン一家のヒットマン6人と通行人1人を殺害。もちろん首謀者はアル・カポネでしたが、巧妙なアリバイ作りで捜査の手を逃れました。

しかしマスコミは頑なにアル・カポネを叩き、シカゴで人気者だったアルは一転して「シカゴの顔役」から「シカゴの悪役」になりました。

 

そして1930年、アル・カポネはアメリカ政府と本格的に対立します。

まとめ

アル・カポネ。調べれば調べるほど逸話が見つかり、彼の一生がどれだけ濃密だったかが伺えます。

おかげで今回アルの転落についても書くつもりが、また明日以降へと引き延ばしになってしまいました。

1920年代はアル・カポネの時代と言って差し支えありません。地位・富・名声。その全てを手に入れた男が、どうやって舞台の幕を引くのか。次回こそは、アル・カポネの失墜についてお話しします。

Ciao!