日本人でもよく分かる、イタリアンマフィアの歴史⑥
親愛なる読者様、Buon giorno!
丸め込まれたマフィア、ヴィスコです。
おかげさまで仕事が増え、動画制作やら小説の執筆やら忙しい毎日を過ごしております。慣れないことばかりで時間かかってる、とも言うんですけどね。
てな訳で久しぶりにアル・カポネの話をしま〜す。
今日はアル・カポネが生涯を終えるまで、をお話しします。
アル・カポネ、沈む
登場人物
A(+・`ω・) アル・カポネ。シカゴに渡った青年。犯罪帝国のトップに上り詰める。
(ノ´□`)ノ エリオット・ネス。チームを率い、カポネを追い詰める。
アル・カポネの横暴すぎる行いの数々に、とうとう本腰を入れたアメリカ政府。
脱税と禁酒法(ボルステット法)違反の線で捜査を進めることとなった。
中でも有名なのは、財務省のエリオット・ネス率いるチームとアル・カポネが繰り広げた死闘でしょう。映画「アンタッチャブル」の原作となった、一連の流れですね。
しかし、あの物語には多大な虚飾・脚色が含まれていたのです。
(ノ´□`)ノ 「密造酒の製造所があるのは間違いない。問題はどうやって調べるかだ」
チーム「情報はカポネの部下を買収するのが一番手っ取り早いでしょう」
(ノ´□`)ノ 「うーん、それだと嘘か真実か見極めることができない。そうだ、電話を盗聴しよう!」
映画ではカポネの部下と何度も激しい銃撃戦を繰り広げたエリオット・ネスですが、それはネス自身の証言のみでカポネ側からは一切記録が出てこなかったそうです。
実際は電話の盗聴による地道な捜査が情報源となっていました。
そして、真綿で首を絞めるようにネスは着実にアル・カポネを追い詰めたのです。
A(+・`ω・) 「最近、俺の身辺の情報が漏れている。この間も酒造所に手入れがあった」
部下「どうもエリオット・ネスとかいう財務省の奴が嗅ぎ回ってるらしいですぜ」
A(+・`ω・) 「なんだと・・・そういうことなら、そいつの部下を買収しよう」
しかし、この目論見は外れました。ネスがチームに選んだ人間は酒類取締局の中でも信頼たる男たちばかり。さらに買収に気づいたネスに阻まれ、それを逆手にメディアでカポネの買収未遂を公に発表したのです。
(ノ´□`)ノ 「アル・カポネは卑怯な手を使い、我々を陥れようとしました!そんな男がのさばっている限り、シカゴに平和は訪れません!」
A(+・`ω・) 「野郎ぅ・・・好き勝手なこと言いやがって」
こうした悪評を払拭するため、アル・カポネは積極的に慈善事業へ力を入れました。自らメディアの取材を受け、まず人々へ無償で飲食を提供するなどイメージ回復に努めたのです。
さらに裏ではエリオット・ネスの捜査を阻止するべく、彼の暗殺を企てます。ネスは親友を殺され、自身も命の危険に晒されながら捜査の手は止めませんでした。
そして1931年。アル・カポネはとうとう逮捕されました。主な罪状は脱税。
そう、目立った捜査をしていたエリオット・ネスのチームは囮で実際は脱税の捜査が本命だったのです。
こうして捕まったアル・カポネは裁判をかけられ、懲役11年を言い渡されました。
人生の絶頂期を謳歌していたアル・カポネにとって、急転直下の出来事だったのでしょう。それでもクック刑務所に収監されたアル・カポネは、所長を買収し豪勢な暮らしをしていたそうです。
そして望みをかけていた再審が棄却され、アトランタ刑務所へ移送されると状況は一変しました。
囚人A「おい、酒はどうしたデブ!あ、そうか。ここにはねーのか」
囚人B「デブ、女は何処だ?お前なら連れてこれるだろ!」
A(+・`ω・) 「・・・言わせておけば」
囚人A「あ?なんか言ったか?」
囚人B「やっちまえ、オラァ!」
A(+・`ω・) 「ひっ」
囚人C「おい、やめろお前ら!大丈夫ですか、アル・カポネさん」
A(+・`ω・) 「お前は?」
囚人C「へへ。シャバにいた頃、あなたに世話になって者です」
アル・カポネの取り巻く環境は、ある種シャバにいた頃と変わらなかったのかもしれません。常に敵が自分を狙い、命の危険に晒されているという点では全く同じ状況でした。有名人だったアル・カポネは囚人たちの格好の的となります。
さらにアル・カポネを追い詰めるかのごとく、ある病が着実に体を蝕んでいたのです。
A(+・`ω・) 「ウゥ、ウゥ・・・」
看守A「あいつ、また布団をかぶって泣いてやがるぜ」
看守B「長い囚人生活で頭がおかしくなったんだよ」
アル・カポネが冒された病は神経梅毒でした。
現在は稀になり治療方法も確立された神経梅毒ですが、当時は精神疾患と間違われ適切な治療を受けるのが難しかった病気です。
アル・カポネは刑期残り一年というところで連邦矯正施設で服役後、出所。
そこから本格的な治療を受けるも、すでに手遅れの状態でした。
そして家族とともにフロリダで生活していた947年1月25日の土曜日、午前7時25分。
悪化した神経梅毒が原因で、アル・カポネはその太く短い生涯を終えます。
ニューヨーク・タイムズは「悪夢の終わり」と、この訃報を大きくとりあげました。
シカゴを牛耳った大物マフィアの最後としては、なんとも呆気ないもの。
しかし敵に囲まれ、疑心暗鬼に駆られた彼の余生は穏やかだったのではないでしょうか。
出所したアル・カポネの元には多くの知人(もちろんギャング関係)が訪れていたようです。その権威を失墜させないまま、伝説のギャングとして語り継がれる今日。
今後、二度と彼のようなギャングが現れることはないでしょう。
俺は人々が望むものを与えてきた。なのに俺に返ってくるのは悪口だけだ byアル・カポネ
まとめ
いかがでしたでしょうか。暗黒街の顔役、シカゴの裏市長という悪名を轟かせたアル・カポネの生涯。禁酒法時代の象徴とも呼べるギャングであると同時に、彼は両親や家庭を大事にする慈愛の一面もあったそうです。
敵には容赦なく、身内には愛を。まさにイタリアンマフィアの哲学そのものですが、アル・カポネはマフィアではありません。もし彼がマフィアだったら、派手な露出や目立った行動もできなかったでしょう。
なので記事タイトルは嘘になりますね。複雑です、イタリアマフィア。
Ciao!